☆宣光寺☆
皆さん、こんにちは
8月がきましたね!夏の一か月はなんだか時間が経つのが早く感じませんか?
暑さはまだまだ続きますが、のんびり過ごしていきましょう!
今回は、題名の通り『宣光寺』についてご紹介したいと
思います
宣光寺は、徳川家康公とゆかりのあるお寺で、お寺に飾られている
梵鐘(ぼんしょう)は、天下統一を目指す武田勢と徳川家康との
合戦が磐田で繰り広げられた歴史を物語るとても重要なもの
なのです。
そんな歴史溢れる宣光寺についてご説明していきたいと思います
宣光寺とは、寺伝のよると慶長元年(1596)の開創で、開山は妙厳寺(愛知県豊川市)
の『二十五世大淵龍堂和尚』によって開山された曹洞宗のお寺です。
お寺は旧東海道見附宿にあり、今でも街道沿いにはいくつか横町にはいる小路が
遺されています。その一つに地蔵小路と呼ばれる小路奥に、宣光寺があります。
地蔵小路の由来は、古来より宣光寺境内の地蔵堂に延命地蔵を
安置するところより、名付けられた名称であるとされています。
地蔵堂内には日本三代地蔵の一つとされる高さ1.4mもある平安時代の木彫り
「延命地蔵菩薩」があります。
札所本尊は十一面観音菩薩です。
(十一面観音菩薩はお顔と合わせて頭上に10つの顔がついている観音様です。)
「延命地蔵」には家康にかかわる不思議な伝承が伝えられています!
元亀3年(1572)年に、武田信玄と徳川家康が戦いました。その中で敗れた
徳川家康が退却する際に、ここ見付に逃れて町に火を放ちました。
火に逃げ惑う人々を、延命地蔵が人間に変身し、やけどをしながらも救ったようです。
そのため、ここの延命地蔵は『みがわり地蔵』と呼ばれ信仰されています。
そのことから、徳川家康も延命地蔵を信仰し、延命地蔵のために天正15(1587)年、
梵鐘を寄贈したようです。今も、境内にある徳川家康寄贈の梵鐘には「家康」
という文字が読め、家康の文字があるために戦時中の金属供出
を免れたそうです!
(←とってもすごいですよね!!家康が残したという記録がここで影響を与えるとは…)
意外とスマートなサイズ感で、すこしびっくりしました。
(とんでもない大きさを想像していたかもしれないです…)
この梵鐘は、天正15年(1587)の戦いで命を落とした多くの武将の
供養のため寄進されました。
こちらの梵鐘の大きさは、口径51.5cm、高さ74cmです。
銅で出来たものになっております。
「大日本国 東海道遠江刕 豊田郡 見付府奉鑄鐘大地蔵 公用」。
と刻まれており、「大地蔵」は宣光寺の延命地蔵を示し、
「公用」とは、この梵鐘が個人的ではなく、公式の寄進であることを
示しているのではないかと思われているそうです。
梵鐘の銘文は、「旹天正拾五亥年霜天廿四日 大担越源家康敬白」。
と刻まれており、当時の家康は、永禄9年(1566)に勅許を得て、
「徳川」をなのっていたはずですが、「源家康」とは征夷大将軍の
官位を望み、公式には清和源氏の出を自称していた証だそう。
さすが徳川家康公とばかり思いますね。
(写真では見にくいですが、源家康としっかり書いてありました!)
因みにこの梵鐘は、お寺内にあるわけではなく、車をとめる駐車場の敷地に
ありました。
延命地蔵菩薩が祀られている地蔵堂がこちら!
これは普通に大きくてびっくりしました。
実際に延命地蔵を見たわけではありませんが、土足厳禁だったので、
しっかりと守られており、実際に目で確かめられたらな‥と
思いました。
また、お寺の境内にはいくつか気になるスポットがありました。
観的な池のようなものがあり、小さな水車がくるくると回っており
夏を感じました
また、延命地蔵菩薩の地蔵堂の目の前に「水かけ地蔵」がいらっしゃいました。
お地蔵様にお水をかけると身も心も、清めることができるそうです。
私もせっかくのなので、清めさせていただきました!
水かけ地蔵の奥には、妙厳寺の豊川稲荷がありました。
なんだか不思議な空間でした。
冒頭でも説明した、開山が妙厳寺のため、こちらにも
あるようです。
いかがだったでしょうか?
実際に宣光寺にもぜひ足を運んでみてください!
とっても素敵なお寺でした。
ぜひ夏の思い出に
アクセス
磐田駅から
お車 ⇒10分ほど
バス ⇒豊浜経由で20分程⇒二番町のバス停から徒歩5分
旧見付学校のバス停から、徒歩3分ほど
徒歩 ⇒40分ほど
住所
〒438-0086
静岡県磐田市見付1340-1
駐車場完備
(※お墓参り等される方優先です)
nagisa
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