☆御殿遺跡公園☆
皆さん、こんにちは
日々暑さが強くなっていますが、皆さんいかがお過ごしでしょうか?
今回は少し暑くても、ふらっと気軽に立ち寄れる観光スポット
『御殿遺跡公園』について紹介していきます!
まず御殿遺跡公園とは、御殿・二之宮遺跡は弥生時代~平安時代・中世に営まれ、
奈良時代には遠江国府の中心の施設が配置された重要な遺跡です。
大規模な建物跡は御殿遺跡公園に保存され、その位置がわかるようになっています。
『遠州中泉古城記』によると、徳川家康が家臣の伊奈忠次に
命じ天正12~15年(1584~88年)に地内に御殿を築きました。
御殿は将軍の旅行や外出の際の宿泊・休憩施設として全国に90箇所ほど設けられた施設です。
中泉御殿の敷地は約一万坪と伝えられております。
一万坪は例にあげると、サッカーコート4つ分の大きさのようです。
因みに東京ドームが1万5000坪のようなので、当時のことを考えると相当広いですよねΣ(´∀`;)
中泉御殿とは果たしてどんな施設として家康が使っていたのでしょう。
(以前ブログで書いたと思いますが、もう一度復習として載せておきます)
家康は中泉御殿を宿泊・娯楽として扱っていたようです。
大池周辺での鷹狩りや旅の疲れをとるために訪れ、磐田にきていたということになります。
一応調べでは、家康は中泉御殿に21回も訪問していたようです。
そして少しずれますがシンプルに昔の将軍の方が、鷹狩りが人気だったので
広大な土地がある中泉御殿・磐田という場所がぴったりだったのでしょう。(個人の見解ですが)
そして、御館の近くに堀や土塁が築かれていたことから
「中泉城」といっていいほどの機能を持っていた と言われていたみたいです。
中泉城とまで言われていた中泉御殿…今もまだ残っていたらみてみたいですね!
実際に御殿遺跡公園に行ってきたので、こちらです!
家康がのっていて、可愛らしいですよね。
そしてこちらは、「中泉陣屋」内にあった稲荷宮の参道に建てられていた道しるべ
です。陣屋というのは江戸時代の幕藩体制における大名領の藩庁が置かれた屋敷
もしくは、徳川幕府の 直轄領(徳川幕府が直接支配した土地)の遠国奉行や代官の
住居および役所が置かれた建物のことです。
中泉陣屋は通称『中泉代官所』と呼ばれ、徳川幕府の直轄領であります。
遠江を中心に、西は三河から北は信濃まで及んでいたようです。
文久2年(1862)に書かれた陣屋絵図の中に「稲荷宮」と「稲荷門」という名称
がみられます。この道しるべは、稲荷宮の参道に建てられました。
なぜ「軍兵」と名付けれているのかはっきりしないみたいです。
ちなみに大きさは、絵図によると西は東城道に面し、周囲は土塁や水路に仕切られ
総延長約571mあったようです。
敷地の北半には書院や長屋などの建物が並び、南半には畑や池とともに
稲荷宮が置かれていました。
また、中泉陣屋の表門は、現在新島の伊藤家に移築されています。
この道しるべは、中泉陣屋の所在を示す、貴重な歴史遺産です。
大日堂にもあった家康公の手植えのみかんの木に
出会えました
手植えのみかんに関しては、大日堂のブログでもお伝えしたように
家康公が駿府城で手植えみかんを育て、そのみかんの子供たちが
磐田の家康が関係しているところに生えているのではないか
と思っています。
坊人の歌というのがあり、とても興味深いかかったのでお写真を撮らせて
いただきました。お坊さんの歌が存在していることにまずびっくりです。
新しい領域に触れたような気がしました( ´∀` )
いかがだったでしょうか?
今回で御殿遺跡公園のことを知れたでしょうか
磐田駅から徒歩圏内でいけるので、ぜひお時間がある際はお立ち寄りください
アクセス
磐田駅 南出口 約徒歩2分
駐車場はございませんのでご注意ください。
nagisa
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