☆中泉軌道☆
こんにちは
中泉駅の鉄道繋がりということで
【中泉軌道】についてご紹介しようと思います
中泉軌道は
神谷惣吉、川島瀧蔵、青山源一ほか近隣の有力者が発起人となり、
資本金5万円で設立した株式会社です。
なぜ中泉軌道を設立したかというと
久根鉱山から池田まで船で運ばれた鉱石や木材を
効率よく大量に中泉駅へと運搬するためでした
明治40年 (1907年) 10月に開通をし、
池田村ー中泉の約9キロをむすびました。
中泉軌道の車両は車丁と呼ばれる
汽車に乗務する給仕人が2人係で押して動かす
人力車でした
【ルート】
中泉駅を西進⇒石原の郵便局東側を北進⇒西新町亀文宅北側を西進⇒
現磐田化学工業前で旧東海道に入る⇒道路南側の松並木と並行⇒
進郷社の東側を北進⇒小立野を西進⇒県道の西側を北上⇒
池田橋の東端にある番小屋へ
(引用元:http://otakara-iwata.net/index.php?FUNC=Detail&Id=176)
(転載元:いわた文化財だより第154号)
昭和5年 (1930年) に廃止されるまでの23年間の間に
当初の目的であった鉱石や木材だけではなく、
お米やお茶、さつまいも等も運搬をし、
当時の磐田にはなくてはならないものになっていました。
乗客数はピーク時の大正2年 (1913年) には
12,000人と年間1万人前後でした。
ちなみに2018年の磐田駅の1日の乗車数は約8,000人です。
そう考えると
すごい利用者数ですよね
ですが、
モータリゼーション化の波に押されて
昭和5年(1930年)には営業休止となり、
昭和7年(1932年)2月7日に廃止されました
廃止されて長い月日が経ちますが、
今なおお問い合わせがありとても人気のある軌道です
お天気がいい日に
中泉軌道の跡を探してみて下さいね
SÅKURÅ
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