【続】新人コンシェルジュの磐田めぐり⑦
花咲乃庄の江戸・昭和博物館<東蔵>で私が最も興味をひかれたもの
それは・・・
"光明電鉄"の操縦席と
鉄道模型であります
光明電鉄とは昭和初期に静岡県中泉町(現:磐田市)の東海道本線中泉駅に隣接する新中泉駅から二俣町(現:浜松市)の二俣町駅まで通っていた鉄道のこと
当時は時速30km程度の軽便鉄道が主流であったのに対し、時速60kmの速さで走る光明電鉄は、国産で国電並の高速電車として19.8kmの距離をたくさんの人々を乗せて走っていたのだそうです(^^)ゞ
そして操縦席にはこんな看板が
ええ、もちろん運転しますとも(`▽´)b
運転と言ってもボタンを押すだけなんですけどね(笑)
ボタンを押すと模型の電車が動くんですよ~
うわーい(^ワ^)ノ たっのし~いなぁ~♪♪♪
・・・と思っているのはおそらく傍から見ているmamaさんだけで
操縦席にいる私からは電車が動いている様子が見えないんですッッ!!!!!(;Д;)
見えているように撮られてますが座っているとホントに見えないんです(笑)
なので立ってボタンを押すことに
やっと動いている様子を見れました
電車が大好きな方はもちろんでしょうが
私も動いてる電車の模型を見てだいぶ興奮しちゃいましたよ
光明電鉄は6年余りというとても短い期間での営業でしたが、
光明鉄道が走っていた頃を知る人たちにとっては当時の社会状況や日常風景と共に今も懐かしい思い出として残っているのでしょうね~(@ω@)
てなわけでパート⑦までお届けいたしました
【続】新人コンシェルジュの磐田めぐりはこれにて完結でありんす
今回のシリーズは全体的に写真ばかりで文字が少なかったことに反省orz
次回の続編(あるとかないとか)への課題にします
noriko
それは・・・
"光明電鉄"の操縦席と
鉄道模型であります
光明電鉄とは昭和初期に静岡県中泉町(現:磐田市)の東海道本線中泉駅に隣接する新中泉駅から二俣町(現:浜松市)の二俣町駅まで通っていた鉄道のこと
当時は時速30km程度の軽便鉄道が主流であったのに対し、時速60kmの速さで走る光明電鉄は、国産で国電並の高速電車として19.8kmの距離をたくさんの人々を乗せて走っていたのだそうです(^^)ゞ
そして操縦席にはこんな看板が
ええ、もちろん運転しますとも(`▽´)b
運転と言ってもボタンを押すだけなんですけどね(笑)
ボタンを押すと模型の電車が動くんですよ~
うわーい(^ワ^)ノ たっのし~いなぁ~♪♪♪
・・・と思っているのはおそらく傍から見ているmamaさんだけで
操縦席にいる私からは電車が動いている様子が見えないんですッッ!!!!!(;Д;)
見えているように撮られてますが座っているとホントに見えないんです(笑)
なので立ってボタンを押すことに
やっと動いている様子を見れました
電車が大好きな方はもちろんでしょうが
私も動いてる電車の模型を見てだいぶ興奮しちゃいましたよ
光明電鉄は6年余りというとても短い期間での営業でしたが、
光明鉄道が走っていた頃を知る人たちにとっては当時の社会状況や日常風景と共に今も懐かしい思い出として残っているのでしょうね~(@ω@)
てなわけでパート⑦までお届けいたしました
【続】新人コンシェルジュの磐田めぐりはこれにて完結でありんす
今回のシリーズは全体的に写真ばかりで文字が少なかったことに反省orz
次回の続編(あるとかないとか)への課題にします
noriko
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